不妊治療から妊娠まで

2年半自己流+クリニックでの不妊治療を行い、二回の流産を経験後、現在は2か月の息子の子育て中~

自己流妊活開始

稽留流産後は2か月ほど避妊期間があります。

 

私はすぐに子供が欲しかったので、2か月たった後すぐに妊活を開始しました。

始めはアプリを使って排卵日前後に試していましたが、できませんでした。

 

正直、前回はすぐに出来たのであれ??

という感じでした。

そして半年自己流でやって無理だったらクリニックに通おうと決めたのもこのころです。

 

次は基礎体温のチェック。

毎朝頑張って図っていたのですが・・・

私の場合はあまりうまく体温の下がりとかがわかりませんでした。

高温期と低温期はなんとなくわかるのですが・・・

 

そこで友達から聞いた排卵チェッカーを使いました。

ドラッグストアで売っているやつです。

これも私の場合あんまりうまくいかず・・・

線が濃いっていつ・・・??

ってなってしまいました。

 

そうこうするうちにアッという間に半年が過ぎ、クリニックに通い始めることを決意しました。

稽留流産手術後

稽留流産後、仕事は1週間休みました。

体力的には割としんどかったです。

駅まで徒歩10分ほどの距離なのですが、歩けませんでした。

 

手術から3日間くらいすると、体力が回復してきたような気がしました。

でも、気力は全然回復せず、何もする気になれませんでした。

結局仕事は10日間休みました。

 

体力は仕事復帰後もあまりよくなく、復帰したその日にアイスを食べたんですが、

アイスがおなかに染みて痛かったです。

体は1か月くらいでほとんど問題ない感じになりましたが、メンタルの回復はそうはいきませんでした。

 

たかが一回の流産で、と思われるかもしれませんが、正直当時の私は

仕事をやめるべきかも悩みました。生きている意味も本当にわからなくなりました。

なんで私・・・という気持ちがずっとあり、歩いていると涙が出てくる日が半年ほど続きました。

人にもなかなか言えませんでした。

口に出すと涙が出るので話せなかったのが本音です。

 

母の言っていた「時間が一番の薬です。」

という言葉が一番しっくりきました。

本当にそうでした。

半年以上かかりましたが、何とか涙が出る回数が減ってきました。

稽留流産の診断決定と手術

いよいよ二回目の診察の日。

旦那と一緒に行きました。

ネットで見ると、案外2回目の診断の時に「大丈夫だよ」と言われることもあると書いてあったので、そんな甘い期待を持ちながら。

 

結果は・・・御覧の通り。

涙が止まりませんでした。

直ぐ次の日の手術を勧められましたが、仕事の関係もあり、一週間後にしてもらいました。

手術の前に最後にもう一度確認してもらえるので、その時に奇跡が起こることを信じて。

 

あまりに辛すぎて、その日にすぐに宿をとり、小旅行に行きました。

少しでも気分が紛れるように。

家から3時間くらいの違う県に。少しでも遠くに行きたかったのです。

その時少しだけ気が紛れました。

 

手術までの日、またまたネットで検索しまくっていると、

自然排出になったらすごくお腹が痛いらしいと見たので少し震えていました。

 

そして手術の日。

日帰りだと聞いていたので帰りに迎えに来てくれるよう午後に来てもらうことにしました。

手術には一人で行きました。

稽留流産の手術には保険が適用されるんですって。

すごく不思議。産むまでは保険がきかないのに、産めないってなったら保険がきくなんて。よくわかんないな。

 

手術の前、最後にもう一度エコーで確認してもらいます。

最後まで願っていましたが、やはり流産という結果。

掻把手術なので、子宮口を広げるためのラミナリアを入れます。

これが広がるまで1時間ほど待ちます。

これが割と気持ち悪い。

私にとっては重い生理痛のように感じました。

横になって待っていると、いよいよ手術台に。

そんなに大したことはなく、看護師さんが一人いて準備をしてくれます。

 

麻酔は静脈麻酔。

先生が来て、10秒数えましょう、1,2,・・・

私が覚えているのはここまで。

なんか謎の世界にいたような感覚に陥ります。

 

そして手術が終わりました。

麻酔で眠くて眠りました。

帰りに旦那に来てもらい、帰れたのは16時。

最後に先生が

「あなたのせいじゃないですからね。」

 

涙が止まりませんでした。

 

不妊治療を始めるきっかけ 1回目の流産(稽留流産)までの経緯

こんにちは!ひまビーバーです。

なぜ不妊治療を始めたのかをお話します。

 

そもそも私たちは結婚した当初、別居でした。

仕事でようやく転勤させてもらえ、2019年4月に同居をスタート。

別居をしていた時は、一人で妊娠するのが怖かったので

ルナルナで妊娠しやすいときは避妊、それ以外の時は避妊せずにいました。

 

いよいよ同居するとなった時、子供もすぐに欲しかったので妊活スタート。

と言っても特に何かするわけでもなく、まぁ出来たらいいよね~くらいでした。

その頃の旦那は海外出張が多く、その月もルナルナでベストのタイミングの時は

海外出張でした。

なのでできないだろうな~と思っていたので、生理が遅れた時びっくりしました。

(28日周期ピッタリでくる子だったので)

生理予定日の次の日にすぐに検査薬。

線が出ましたー!!!めちゃめちゃうれしかったです!!

 

直ぐに病院に行きました。

ですが、すぐすぎて胎嚢が確認できず。

よく考えればこの辺から怪しかったのですが・・・

2週間後に病院に行き、無事胎嚢と心拍を確認し、母子手帳をもらってきてね、のGOサインが・・・

 

喜び勇んで母子手帳をもらいに行きました。

そして心拍も確認できたので、会社にも言いました。

その頃はまさか流産するなんて考えてもいなかったので、

かなり楽観的に生活してました。

仲の良い友達にも言ってしまってました。

のちのちこれをすごく後悔することに・・・

 

初期の妊娠健診って2週間に一回なんですね。

10週1日のことでした。

「大きくなってないです・・・おかしいです」

 

ん??

 

予想もしていなかったので、意味が分かりませんでした。

どういうこと・・・?

「すごく大事なことなので、別の先生にももう一回きちんと見てもらってから判断しましょう。金曜日来れますか?」

わかりました。来ます。

やばいかも、と実感がわいたのはお会計の時。

「今回は使わないのでお返ししますね。」

そういって母子手帳と補助券を返されました。

これは妊娠健診と判断されないのだな、とわかりました。

 

家に帰るときの記憶も正直あまりありません。

帰って旦那に話して、また指定された日も会社で研修がはいっていたので

慌てて会社に連絡して・・・

インターネットでポジティブな結果になった物語をひたすら検索しまくりました。

自己紹介

こんにちは~

ひまビーバーです!!

簡単に自己紹介を書いていきます~

 

年齢:33歳 平成元年生まれ

大手企業で営業職8年、去年念願の人事に!!在宅勤務がメイン。

2022年4月から23年の4月まで産休と育休、23年のGW明けに復帰予定。

 

2018年10月 結婚 この時は別居婚

2019年4月 一緒に暮らせるように!!子供ほしいと思い始める

2019年5月 妊娠発覚

2019年7月 9週にて稽留流産 半年くらい立ち直れなかった

2019年10月 自己流タイミング法スタート

2019年12月 排卵チェッカー使い始める

2020年2月 不妊治療クリニックの門戸をたたく。タイミング法開始

2020年4月 妊娠発覚

2020年5月 4週にて自然流産

2020年7月 タイミング法再スタート

2020年10月 転院を決意。色々検査

2021年2月 人工授精スタート

2021年6月 4回目の人工授精がうまくいかず体外受精を決意

2021年7月 1回目採卵

2021年9月 1回目移植

2021年9月 陽性判定

2022年6月 40週5日で男児出産